学生ボランティア(ガクボラ)母子生活支援施設の子ども向け学習支援ボランティアに参加してきました。+考えたこと

前置き

海外NPOというのは、いつでも「人気」。
例えばテレビ。海外の恵まれない子どもたちという特集なんか何回か見たことがあるような気がする。
例えば教育。教科書にも恵まれない子どもたちのことが載っていたり、自分で調べてまとめてみようなどという授業もあった。そして「私たちが豊かさを享受する一方で貧困にあえぐ子どもたちもいる」だからできる援助しよう。だからできるだけつつましく暮らそう。と。*1
例えばボランティア。海外の恵まれない子どもたちに、なんてよく募金を募っている。
僕はそれらを尊いことだとわかっている。
わかってはいるのですが、どうしても好きになることができない。
なぜならどうしてもそれらを「偽善的である」と感じてしまうのだ。
募金をすればそれで終わり。番組が終わればそれで終わり。それで考えることをしたのかどうか。
そしてもう一つ。国内にも確かに貧困者というものはいる。それなのに国外の人ばかりとりだたされているような気がする点からだ。

参加理由

そのような理由もあって、僕は国内のボランティアに参加していたいと思っていた。
人として生まれてきた時から、人としてある程度の幸福を手に入れる権利がある、と僕は思う。
だから、せめて。子が将来後悔しないように、なるたけ幸せであるように、助言するのが親の務めだ。
そしてそれがなされないのならば、誰かが代わってそれをするべきではないか。
経済苦や親の身勝手で教育が妨げられるなら、それを排するべきでないか。
それが大体参加理由。

本編〜母子生活支援施設でのお話〜

今回は母子生活支援施設で学習支援をしたというより、挨拶に伺ったというだけ。
これからの打ち合わせや母子家庭施設についてのお話などを聞かせていただいた。
大体の話の筋はこうだ――
母子生活支援施設の学習支援していただくのは、中学1年生の二人。
かなり勉強の面でも遅れているらしく、小学5年生あたりの勉強も怪しい。
二人ともやる気の面で問題があり、母子生活施設で勉強の時間も設けているが来ない時がある。
学校にも仮病でいけない、宿題ができていないからいけない、面倒だからいかないといかない時もある。
そして問題はこのうちの一人で、この子はこの施設に五年間いる。
なぜ五年間いるのかというと、親に引っ越す気がないからだ。
さらにこの子の親は両親とも働いていない
両親とも生活保護を受けて暮らしているそうだ。その上両親とも体調、面接結果などを理由に働こうとしない。
その親を見て育った子どもなので、働くことの意義がわからない、それに伴い進路などもやりたいことがない――

考えたこと――ある意味不幸な子ですね、と彼は言った――

多分その子の親も同じような親に育てられたのだろう。
なにをどう考えたって、これは底辺層の再生産である。
そういえばこんなことがあった。

ある中学三年生の親がこういったそうだ。
「高校なんて行かなくてよくない?」と。
もちろんその子ども自体も高校に行く意味を感じておらず、「中卒で働く」と言っていた。

教育の意義が親に理解できていないで、子どもにどう理解できようか?
日本は「スタートラインは平等に与えらている国」だという人がいる。
僕にはそうは思えないと思うことが、多々あるのであるが。

*1:つつましく暮らすというより給食を残さず食べようという切り口に使われていたこともありました。